前回の記事はこちらから

長いお休みをいただいていました!
帯状疱疹になってしまったのですが、その帯状疱疹の薬で重い薬疹(薬のアレルギー)を起こしてしまい、顔以外の全身に真っ赤なブツブツができてしまっていました(´;ω;`)
ゆっくり休養をとって、少しずつ体調が戻ってきました。
夏に体調崩すと辛いですね!まだしばらく暑さが続きますが、皆さんもご自愛くださいね。
ブログも(不定期にはなりますが)少しずつ再開していきます。
***
私は強迫感がとても強く、「〜したい」よりも「〜しなければならない」という気持ちに動かされて生きてきました。
「〜しなければならない」思いに突き動かされると何が辛いって、人生を楽しむことができないこと。
「読まなければいけない」本がたくさん溢れ、「終わらせなければいけない」仕事が山積みでプレッシャーと常に隣り合わせ。
自分がやりたいと思っていたことのはずなのに、計画していたことができないと、いつしか「これがしたい」が「しなければいけない」にすり替わってしまって、できていないことばかり数えてしまう。
欲しいものを見つけては、使いこなせない量を買ってしまい、整理できないまま気づいたら部屋が散らかっている…。
楽しいことを我慢して、真面目に生きているはずなのに、なぜかいつもお金がなくなり、また頑張らなきゃとプレッシャーを抱える繰り返し。
そう、ずっと自分が作ったルールに縛られて、喜びや楽しさを封印(抑圧)してきたんです。
そして、「しなければならない」に囚われない方が楽だろうと感じてはいるのに、それをぎゅっと硬く握りしめて、手放そうとしなかった。
手放すのが怖かったんです。
なぜなら、それは幼い私が心の傷から自分を守るために握りしめたものだったから。
本当の私の声は、硬く握りしめた拳の中で、壊れないようにずっと守られてきた。
そう、心の声は、「〜しなければならない」の奥から聞こえてきます。
心の声は無意識から届くもので、無意識はその時その瞬間の自分にとって一番良い答えを出してくれるので、5分前の声と今の声が異なる可能性があります。
一方で「〜しなければならない」という強迫感は、自分の存在を脅かす(かもしれない)新しいものを好まず、慣れ親しんだものに対して、変わらない永遠を求めているような感覚でもある。
だから、「〜しなければならない」思いに囚われている方の私は、無意識の移り変わる楽しみ方が不安で怖くて手放したくなかった。
でも、「〜しなければならない」の分厚い壁に覆われていても、その分厚い壁の奥から鳴り響く「楽しい!」を感じた時に、心動くまま求めてみると、だんだん分厚い壁にヒビが入って、心が開かれていきます。
そして握りしめていた拳が緩む時、その隙間から、どんどん心の声が聴こえてくる。
それはどんな辛い経験をしても、失われることのなかった声、ずっとそこにあった私の声なのです。
(つづく)
***
休養をいただいている間に関西万博に行く機会があったので、こちらで少しずつ写真を載せようと思います。
心の垢が一つずつ剥がれていくような素敵な場所でした。
第1回目はフランス館をご紹介。




こちらは1900年頃の作品『左手と右手のアッサンブラージュ』(オーギュスト・ロダン)
まだまだ載せたいのですが、キリがないので今回はこちらで…。次回もお楽しみに^^