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話のテーマは共有しているはずなのに、よくよく話をしていると噛み合わないということがあります。
人と話をしていて、「あれ?」と思うことがあった時、トラウマちゃんはその場の空気に合わせて、自分の本心と反しているのにも関わらず、相手を不快にさせない言葉をかけてしまいます。
そして、その人と別れた後や夜寝る前に、会話が自動的に再生されるので、頭の中で本当は言いたかったはずの言葉を相手にかけるけど、全く気持ちが晴れずに何度も何度も、脳内であの時の会話を自動再生してしまう。
そう、脳内で何度も思い出すということはつまり、その会話の相手に執着させられている。
今日は心にこのテーマを書きなさいと言われたので、掘り下げてみることにしました。
心に「心よ、どうして(執着することが)くだらないとわかっているのに、頭の中で執着してしまうの?」と聞くと、「それは、執着している相手とは見ている世界が違うから、自分の世界を分かってもらいたいと期待してしまうからだよ」と返ってきた。
見ている世界がどう違うの?と聞くと、高層ビルの映像が浮かんできた。
執着してしまう相手は、自分のいる階とは別の階にいる。
同じ建物の中にいるので、なんとなくフロアのデザインは同じだけど、相手の階にあるはずの自動販売機が、私のいる階にはなかったりする。
そして、そこから窓の景色を見た時に見えている風景は、高さの分だけ少し異なる。
心によると、「相手は自分が見えている景色を当然のように言ってくるから、あなたは自分の見えている景色と違う点を無意識にキャッチして、違和感を感じる」らしい。
「そして、あなたの階には自動販売機がなくて、相手には見えない向こう側のビルの様子が見えていることを、わかってもらいたいと思う時、相手の発言が頭から離れなくなる」と教えてくれた。
なるほど!自分が見えている景色と同じものを相手にも見てもらいたい時、相手に執着してしまうのか。
違う階にいるとわかっているのなら、割り切ってスルーできたらいいのに。
「心よ、じゃあどうして、見えているものが違う相手に、理解してもらいたいと思うの?」
「見えている世界が違ったお母さんに、理解してもらいたかったからだよ。」
心が言うには、人間には母親を求める本能が必ずある(たまごから孵った雛が、初めてみたものを母親として求め続けるのと同じ)けど、その欲求を自分を産んでくれた母親が満たしてくれるとは限らない。
自分の母親に対する欲求が満たされない時、満たされない分を他人にも投影してしまう。
だから、話していると噛み合わない相手に、大人になっても執着してしまう。
では母親が自分の欲求を満たしてくれないから、この先もずっと希望が持てないのか?というとそうではなくて、母親への欲求は、必ずしも産みの親が満たさなくても、「欲求」自体を満たせればそれでいいそう。
そうか!自分が欲求として持つ「母親」と、実際の産みの親としての「母親」は、違っていていいんだ!
「あなたがあなたの階から見える景色を、自分で美しいと思えた時、あなたは母親から自由になる」
心はそう、教えてくれました。
(つづく)
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大阪・関西万博の紹介、第6弾です。今日は2つご紹介します。


写真は電車のキャビン(客室)で、このキャビンごと、電車や船や飛行機を移動する、未来の移動手段としての展示だそう。夢がありますね!


続いて2つ目のパビリオンはこちら。



大阪・関西万博、終わってしまいましたね。
日本にいながら海外旅行に行ったような満足感が得られるイベントでした。
また日本で万博が開催されたらいいですね。
読んでくださりありがとうございました!
(大阪・関西万博の紹介/おわり)