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人間関係で難しいのは、お互いが同じ思いを共有しているのにも関わらず、脳内の余計なホルモンを通して相手を見て、すれ違ってしまうことにあります(ナラティブで書いています)。
私はこれまで「どうして私のことを分かってくれないの!」というもどかしさを感じてきた。
大切な人であればあるほど空回りして、どんどんすれ違っていく相手の心を眺めることしかできない。
この「眺めることしかできない」というのが私が脳内ホルモンを出して感じたことで、その裏側には「私がなんとかしてこの状況を改善しなければならない」という気持ちが隠されています。
そう、つまり自分の心はそのままに、相手を変えようと努力してきたということ。
相手のことをたくさん考えることでエネルギーを使ったからこそ、何も変わっていない相手や現実にがっかりし、自分が何も変えられないことにやるせなさを感じていたのです。
でも、お互いが「通じ合いたい」という同じ思いを共有していて、お互いが脳内で分泌された余計なホルモンを通して相手を見ているとするのなら、
脳内ホルモンをとっぱらってコミュニケーションした方が、もしかしたら通じ合えるのかもしれないということが見えてきます(ナラティブで書いています)。
余計なホルモンを通さない自分の気持ちって、純度100%の本心。
私の純度100%の本心ってなに?と思ってみると、「私は悲しい」「私は嬉しい」というのが浮かんできます。
そう、人間関係がスムーズにいくコミュニケーションって、自分を主語にする伝え方。
「あなた」を主語にすると、相手を分析して裁き、相手を自分の思い通りに作り変える神のようになってしまいます。
神と人間だったら最初から対等なコミュニケーションではないので、相手はその重圧に耐えられず、逃げ出してしまうかもしれない。
私はこれまで、「あなたが悪い」「あなたのせい」ということを相手に伝え続けてきました。
だけど、私がもし「あなたが悪い」と言われたら、批判されたような気持ちになってしまう。
その場では笑って取り繕ったり落ち込んだりしても、後で「そういうあなたはどうなのよ!」と怒ってまた相手のことを考えるのがやめられなくなる。
私は自分だったらそんな気持ちになる伝え方をしていたんだな〜!
でも、「私はこれをされると悲しいからやめてほしい」と言われたら、素直に「ごめんね」という言葉が出てきます。
「あなたが悪い」「あなたのせい」は、脳内ホルモンのしわざ。
「私は〇〇を感じる」は、自分の気持ちを相手の心にストレートに伝える方法。
自分を主語にするコミュニケーションの仕方は、相手だけでなく、自分にとっても優しい方法なのかもしれない。
(つづく)
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