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お久しぶりの投稿です。
FAP療法の魅力を伝えるぞ!と意気込んでいたのですが、守秘義務等の関係で、自分の体験談しか詳しく書けないことに気づき、手が止まってしまっていました笑
そこで、自分の経験談に特化して書くことに決めました。
他の方が体験したFAP療法は、掲載の許可をくださったお客さまの体験談を、「お客さまの声」に掲載していますので、良かったらご覧ください。

私はずっと、「良い人」を演じて生きてきました。
嫌なことを言われても、「悪気があったわけじゃないから」と目を瞑り、誰かが私を踏みにじっても、私が我慢すれば全て丸くおさまると思って、「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせ、自分の心を誤魔化して生きてきました。
そんな私には、一方で自意識過剰な一面がありました。
私には特別な才能があって、愛されていて、相手の行動はぜんぶ私のことを思ってくれてのことだと信じていたところがあった。(恥ずかしい〜!)
FAP療法をやっていて気づいたのは、それは私が心の傷を庇うために作り出した別人格だということ。
FAP療法で治療したある晩、いつも痛い左胸が、突然突き上げるように痛み、思わず起きたことがあります。
いつもは同じ場所がズキズキするような痛み方なのですが、その時はいつもの場所よりもっと奥から、ボールが下から上に向かってバウンドするような感じで、ドーーーン!!と突き上げてきたんです。
びっくりして起きましたが、私の左胸の痛みの頂点には分厚い壁のようなものがあり、突き上げてきたボールは、壁を突き抜けることができませんでした。
その壁にぶつかった時の感覚は、それはもう表現できないくらい痛かったです。
突き上げてきたボールの正体は、子供の頃の私の感覚でした。
癇癪を起こした子供のような大暴れしたい感覚、誰にもわかってもらえない孤独、誰も私を見ていないという怒り、心の叫びが、突然襲ってきたんです。
でも、小さい頃から「大人でいなければいけなかった」私は、その感情に封をして、ぜったいに外にバレないように、もう出てこれないように、左胸の奥の奥に押さえつけて生きてきました。
左胸に封をして、私はその蓋の上で生きていた。
誰にもわかってもらえない孤独を押し殺した私は、頭の中で「相手の行動は自分を思ってくれてのことだ」「私は愛されている」という空想を作り上げて、それを信じて疑わなかった。
つまり、癇癪を起こした子供のような心の叫びを「蓋をしたまま」表現したら、「自意識過剰」になっていたということ。
私の「自意識過剰」は、「良い人」でいることの代償のようなものでした。
もしかして、本来の自分って、あの時突き上げてきた子供の感覚と、大人の私の感覚が同じひとつの感覚で、それに素直に従って生きることなのかもしれない。
子供の私が大人の私に気づいてもらうために、「私はここにいるよ」って私の左胸をずっとノックし続けていた。
それは、「もう良い人でいるために代償を払わなくていい」という、優しいお知らせでした。
FAP療法で別人格の魔法が解け、自分が本当に感じていることは何かが見えてきます。
良い人を完璧に演じ、傷つかないフリをして、「何も問題ない」「大丈夫」と言い聞かせても、何か生きづらさを感じているのなら、それは心の傷を守るために作り上げた別人格なのかもしれません。
そして、別人格が子供の頃の自分に出会い、そのふたつが溶けあった時、なぜかつっかえてうまくいかなかった現実がスムーズに動き出します。
(つづく)
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