前回の記事はこちらから

昔から、人の心の傷ばかり背負ってきた私は、「この傷はもとを辿ればどこに辿り着くんだろう?」ということを考えてきました。
私の「大切にされない」という心の傷は、両親自身にも、大切にされないという心の傷があったから。
そして両親が大切にされなかったのは、時代背景から、祖父母にも余裕がなかったからなのではと、そう思うようになりました。
まだ先の時代にも先祖はたくさんいますが、とりあえず、「生きている時に会える人たち」ということで、3世代に限って話を展開すると、「戦争」が大きな影響を及ぼしているような気がしてきます。
戦争は、今まで積み上げてきたものが一瞬で破壊されます。
街の建築物や社会システム、経済、地域の人々との絆、ありとあらゆるものが、爆弾ひとつでいとも簡単に壊されてしまう。
そして、人々との愛着を形成するなんて二の次で、死ぬ恐怖と隣り合わせの中、明日を生き延びるために必死な日々だったことと思います。
戦っている相手の国の人たちは、私たちと同じ人間であるにも関わらず、こんなにも自分たちをめちゃくちゃに傷つけ、壊していく彼らへの憎しみが、きっと簡単に消えることはなかったでしょう。
今の時代を生きるトラウマを持っている人たちも、普段このような状況の中、生きています。
人と関わるのが怖く、自分の中にある怒りや恐怖と闘い、そして、自分が積み上げられるはずの人間関係やキャリア、才能などを破壊してしまう。
もちろん人と関わって死ぬようなことはないのですが、感じている恐怖は、それに近いものがあったりします。
そう考えると、私たちは時代という舞台を変えて、祖父母たちが負った戦争の傷を、請け負っているのかもしれません。
私がよく記事に書いている「初めての人が怖い」「電話が怖い」という恐怖は、実際には人や電話で死ぬことがなくても、先祖が迫害されたトラウマが背景に隠れているのでは、と考えると、この恐怖の強さに辻褄が合います。
大嶋先生はよく、「日本を元気にしたい」とおっしゃっていますが、そこには「敗戦国のトラウマを癒す」というニュアンスが隠れており、過去のブログでは、「英語が苦手」という人を治療していたら、体験していないはずなのに、戦争の怖いエピソードが出てきたという記事がありました。
死ぬはずのないことに、割の合わない恐怖を感じる場面の背景には、戦争が隠れているのかもしれない。
そう考えると、私たちは間接的に戦争のトラウマと闘っているのかもしれません。
ですが、戦争のトラウマを受けた私たちの先祖は、同時に何度壊されても立ち上がり、回復してきました。
特に日本は地震大国なので、戦争は経験していなくても、その回復力は今を生きる私たちにも身近なものです。
どんな災害に見舞われたって、いつだってそうしてきたように、仲間と一緒に手を取り合って、自分たちの人生を、1から再生することができる。
トラウマちゃんたちが戦争のトラウマを克服した時、その大きな痛みを乗り越えて、先祖から受け継いだリソースを再び手に取り、豊かな未来を切り拓いていくのかもしれません。
(先祖のトラウマ/終わり)
読んでくださってありがとうございます。
時々休憩として、ブームのドラマや本から心理を読み解く記事を書きたかったのですが、やっぱり鮮度のいいうちに書かないと忘れちゃう😀
先祖のトラウマも、本を読んでだいぶ経ってたので、書きたいように書けない!!で大変もどかしい思いをしました。^^;(まだまだブログの書き方模索中・・・)
ということで、突然なのですが、明日から今ブームのテーマについて書こうと思います。
次回もどうぞよろしくお願いいたします^^
<参考>
大嶋先生 2023年6月17日のブログ『英語を喋る人が怖いのはなぜ?』
次のシリーズはこちらから
