前回の記事はこちらから

私はトラウマから抜け出したくて、ずっと頑張ってきました。
心の檻の中から、檻の外のことを一生懸命勉強し、いつか脱出できたら、きっと立派な人間になっていると思っていました。
立派な人間になるためには、「このままではいけない」から本をたくさん読んだし、「立派な人間はこんなことで傷つかないはず」と、嫌なことを言われても我慢して、立派な人間になるまで我慢と思って、喜びを感じる選択肢を封じてきました。
そして、我慢した結果のガス抜きとして、甘いものをたくさん食べたり、お金を使いすぎたり、夜更かししすぎてしまったりして、ちゃんとできない自分を責めてきた。
そんな私に、あるカウンセラーの先生が、「毒を抜くだけで良いんだよ」と言ってくれました。
心の中にはたくさんの自分がいて、その中の一部があなたを守るために反応していて、治療をするとその頑張っている自分の一部が、消えていなくなるかもしれないと怖くなって、抵抗が生まれるけど、
本当はいなくなる必要はなくて、そこから毒を抜くだけで良いんだよ。
その言葉を聞いて、ああ、私はいつも自分の中の何かが変わらないとダメだと思い込んでいたな、と気付かされました。
例えば、以前ブログに書いた「買い物しすぎ」のお悩みを持っていた頃のこと。
そろそろお金遣いの荒さをFAP療法の悩みに取り上げよう!と決意したのですが、決めた瞬間、これを治療したらもう二度と自分の買いたいものをたくさん買うことができないと思い、治療抵抗からカウンセリングの2,3日前で信じられないくらい散財してしまいました。^^;
この頃の私は、立派な人間は自分の欲に負けず、堅実にお金を貯めるものだから、それができない自分はダメ、だから立派な人間になるために、自分のお金遣いの荒さを努力して直さないといけないと思っていたんですね。
ちゃんとできないダメな自分の一部は、消えていなくなる必要があると思っていました。
だけど、「やってはいけない」と封じ込めると、「やめたくない」という葛藤が生まれるだけ。
封じ込めようとした自分の中の一部が、「私のことを忘れないで!」と叫びます。
だから、禁ずれば禁ずるほど、反動が大きくなってしまう。
そもそも、トラウマを持ちながら社会適応していくためには、心のバランスを保つ必要があり、その代償としてお金遣いが荒いのであって、すぐにやめられるのなら誰も苦労しないわ!という話なんです。
心の一部の反応から毒を抜くだけで良いんだよ、という言葉は、幼い頃から好きだったもの、大人になった今好きなもの、嫌いなものや苦手なものは、変わる必要がなくて、そこから整理されていないトラウマ感情(恐怖や怒りなど)を抜くだけで良いんだよ、と教えてくれます。
確かにこれまで、FAP療法を通して毒を抜いていくと、「これが欲しい!」と思って買い物することはあるものの、計画が立てられずに開封することなく、置きっぱなしになった新品の数が減っていきました。
無理やりお金遣いの荒さを変えようとしなくても、ちゃんと脳内で、自分が購入した商品を、いつ、どこで、どのくらいの時間で使っているかの計算ができるようになり、自然に買ったものを大切に使うことができるようになっていく。
このように、行動の変化はあるけど、好きなものは好きなまま。
そして、その好きなものが、私の人生に新しい展開を見せてくれる。
そう、何も立派な人間になる必要なんてなかったんです。
これまで私が追い求めてきた立派な人間とは、社会の誰かに褒めてもらえるような、自分じゃない何者かになろうとすることでした。
そこには、私が本当に欲しかった安心はありませんでした。
好きなことをやろうとする動機がいつも、欠乏感だったからです。
心の一部の反応から毒を抜くと、そのままの私のままで、自分が本来歩くべき道が見えてくる。
やりたいこと、好きなこと、なりたいものの核は小さい頃から変らずに、力を抜いて楽しめるようになっていく。
脳梁を繋いでいくと、そんなことが見えてきました。
(つづく)
続きはこちらから

コメント