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『名探偵コナン』は、読んでいると無意識の中に、「トラウマがあっても安定した人間関係を築いてもいい」というメッセージが入ってきます。
殺人事件がトラウマの比喩になっていて、コナンの登場人物たちは、どんなに殺人事件が日常に溶け込んでいても、事件が終わったらすぐに自分たちの生活へ戻って、安定した人間関係を育んでいるから。
そんなコナンたちと、犯人たちの違いはなんだろう?と考えた時に、真っ先に浮かぶのは、「危険な行動や衝動の矛先」です。
犯人たちは、犯人の心の葛藤や恨み、時には理不尽とも言える思いが、許せないと思っている人に向いてしまいます。
衝動に任せて殺意を人に向けると、相手を破壊しているようで、自分のことも破壊してしまうことになります。
だから犯行がバレた時、これまで自分たちが築いてきた地位や生活なども、全て失ってしまう。
では、コナンたちには危険な行動や衝動は何もないのか?というと、全くそうではないんですね。
コナンくんは、犯人を止めるためにキック力増強シューズで犯人の顔を目掛けてサッカーボールを蹴ったり、犯人の犯行や爆発を止めるために、命懸けでよくアクロバティックな行動に出たりしているし、蘭ちゃんは、空手でよく犯人をタコ殴りにしています。
でも絶対に、その衝動は自分や自分の大切な人たちには向かないんですね。
自分たちが危険に晒された時に、自分や誰かを守るためだけに使っています。
そう、他者を攻撃しようとする欲求は、コナンくんや蘭ちゃんたちにも、本能として備わっている。
他者を攻撃する欲求が、暴力と結びついて、それを表現してしまうと、犯人のように人生を破壊して取り返しのつかないことになりますが、自分を守るための攻撃は、時には必要なんです。
コナンくんや蘭ちゃんたちが危険に晒された時に、「犯人がそんなふうに思ってかわいそう。これくらい、許してあげよう。」と言って、犯人がしようとしている行動を許してしまうと、犯人の犯行がひと段落ついても、自分たちの生活に戻ることはできません。
なぜなら、自分たちが犯人の葛藤や理不尽な感情を、(身体的、心理的な)傷として請け負うことになってしまうからです。
もちろん、私たちは現代社会において、身体的に命の危機にさらされるような事件に遭遇する機会は(少なくともコナンくんたちよりは)はるかに少ないので、
物理的に他者を攻撃して問題ない機会はめったに訪れませんが、自分の尊厳を脅かすような失礼なことをされた時は、自分を守るために、反撃してもいいんです。
そう、他者を攻撃したい欲求は、自分の心の中にあってもいい。
その欲求を、他者や自分を破壊するために使うのか?
それとも、自分や大切な人を守るために使うのか?というのが、犯人とコナンくんたちの違いです。
「自分の大切なものを守るために、衝動を使う」、つまり破壊のエネルギーを“守る力”として変換できるようになれば、
私たちは、他者(犯人)がどのような事件を起こしても、それに振り回されることなく、コナンくんや蘭ちゃんたちのように、
すぐに自分たちの生活に戻ることができるんじゃないかなと思うんです。
<参考>
※来週、ブログはお休みです!再来週に会いましょう^^