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「心に聞く」をして返ってきた答えを実行していくと、自分の人生の主導権を取り戻せるようになっていきます。
「心に聞く」を練習中の私は、このシリーズで心と相談しながらブログを書いています。
「心よ!今日はどんなブログを書くの?」と尋ねると、「ありのままの私でいることについて」と返ってきた。
今日はありのままの私について書くんだ!でも、「心よ!ありのままの私ってつまりどういうこと?」と聞くと、「ありのままの私とは、誰かの言葉を間に受けないこと」と返ってきた。
「誰かの言葉を間に受けると、その人の言葉に振り回されて、自分の人生の主導権を他人に譲ることになる」そう。
そう言って、心は「ほらほら、最近こういうことがあったでしょ?」と、人の言葉をしっかり間に受けた場面を見せてきた。
そうそう、人の言葉を信じてその通りに行動してみると、あれ〜?なんか思ってたのと違う!と、がっかりするはめになるんですよね。
しかも、なぜか相手も私の言葉を間に受けて、「あなたがああ言ったから!」となってしまう。
そして、え〜?!あなたの人生なのに私が決めるの?って、相手を責めたくなってしまう。(そりゃあんたもだろがい!)
そして、人生の責任を、私と相手で押し付け合うことになる。(これが共依存ってやつですか?💦)
心の言うことを聞いていると、私の中で「でもでも!相手の言葉を間に受けないと言ったって、相手の話を聞く場面はたくさんあるけど、そんな時はどうすればいいんだろう?」という疑問が湧いてきた。
「心よ!人と関わりあう世の中なのに、どうやって相手の言葉を間に受けずに暮らしていくの?」
すると心は、「自分が相手の言葉を聞いてどう感じたかに向き合えばいい。相手の言葉の中に、あなたの求める真実はない。それとこれとは別だよ」と言ってきた。
つまり、たとえば相手に批判されたからと言って、「批判の言葉=私」ということではない。
批判的な言葉をかけてくる相手は、こちら側の人生の背景を知らない。
だから、他人がかけてくる批判の言葉は、私という人を一言で表したことにはならないらしい。
逆に自分が相手を大切にしているからとか、相手は自分よりすごい人だからと言って、相手の言葉に真実を見出してしまうと、自分の人生を差し置いてYES!を言うことになる。
そうすると、相手にエネルギーを渡してしまった分を取り戻そうという心理が働いて、無意識的に攻撃として相手に返すことになっていくらしい。
私は相手の言葉の中にこそ真実があると思っていたから、相手の言葉で一喜一憂していた。
悪いことを言われたら、その言葉が自分の全てのように感じて落ち込み、良いことを言われたら、私の人生を良くしてくれるのはこの人だと幻想を抱いて、期待通りに動いてくれないことがわかったら、相手を責めたりしていた。
そう、相手の言葉を間に受けると、相手に自分の価値を預けて生きることになる。
大切なのは、言葉に反応して行動を起こす前に、「なぜそう感じたか」に向き合うこと。
誰かの言葉を間に受けてしまう時、そこには心の傷が隠れていて、それを癒して手放すチャンスでもある。
どんな言葉も間に受けず、いちいち反応しなくなったら、どこにいても、誰といてもありのままの私でいられる。
「本来の自分とは、相手の言葉に反応する思い込みを外していくことで見えてくるんだよ」と、心が教えてくれた。
(つづく)
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